先輩からのメッセージ

OBからのメッセージ

フィジシャンサイエンティストとして

柏木 哲さん
佐久高校・昭和62年卒
小諸東中出身・小諸市
Principal Investigator,Vaccine and Immunotherapy Center
研究室の研究員と(中央)マサチューセッツ総合病院/ハーハード大学医学部

研究室の運営に忙しい毎日

  私が高校を卒業したのはもう30年近く昔のことになります。当時は佐久高校といって、まだ「長聖」がつかない頃でした。私が卒業した頃、同世代の人口は200万人を超え、受験戦争もエスカレートしていました。医師過剰時代の到来を予測し医学部の定員が現在より少なく抑えられていたため、医学部進学は特に競争が激しかったと記憶しております。
  私たちのクラス担任に受験指導で定評のあった宮嶋利男先生がなられ、「高校3年になって勉強したのでは遅い」とよくはっぱをかけられたものでした。おかげさまで、基礎医学の研究者を志向していた私は慶應義塾大学、東北大学の医学部に合格。医学界で重要とされる同窓会の強さや研究レベルなどを考慮し、慶應義塾に進学しました。
  大学卒業後、産婦人科医として研修医、専修医を終え、慶應義塾大学大学院医学研究科で基礎医学研究に従事し博士号を取得。今から12年程前に渡米し、ボストンのマサチューセッツ総合病院/ハーバード大学医学部で博士研究員として、がんや循環器疾患の研究に従事しました。その後、マサチューセッツ総合病院に新設されたVaccineand Immunotherapy Centerの研究主任となり、米国立衛生研究所(NIH)などから研究費を獲得してインフルエンザワクチンの研究室を主宰。現在は研究員や研究補助員などを雇用し、研究の立案、指導、論文の執筆など研究室の運営に忙しい毎日を過ごしています。

フィジシャンサイエンティストをめざして

  私は学生時代から、フィジシャンサイエンティストphysician scientistという職業に憧れていました。それは、患者さんを診療しながら、医学の進歩に貢献すべく医学研究室も運営するという職業です。医師としてやりがいのある仕事とともに、誰もできないユニークな医学研究をしたかったのです。
  私がアメリカに職を求めたのは、日本にフィジシャンサイエンティストという職がなかったということもあります。アメリカは学問の裾野が広く、仕事のスタイルも多様。世界各国から多様な分野の逸材が集まり、相乗効果で成果が上がっているように思えます。
  私の経験から、この職業はサイエンスが単純に面白いと思える人に向いていると思います。学生時代も膨大な量の論文を読んだり、データを解析したりしましたが、現在はその時以上に勉強していると思います。
  この仕事を続けるためには、仕事に直結した基礎学力(数学、科学)が重要であることはいうまでもありませんが、高い語学力(英語力)も要求されます。研究の世界ではアメリカでも日本でも、国境や言語、文化の壁を超えた活動が不可欠で、科学論文はすべて正確な英語で書かれなければならないからです。皆さんも英語の勉強を頑張っていると思いますが、私の場合、受験勉強の英語が今でも直接役に立っています。

その時にできる努力を惜しまずに

  社交性や豊かな人間性も重要です。日本と違い、若いうちからトップに立ち責任をもって研究室を主宰、自分の判断と責任で部下の仕事やスケジュールを管理することになるのでなおさらです。普段から家族ぐるみのバーベキューや寿司パーティーをするなど、日本とはまたひと味異なったつきあい方が必要だと感じています。
  但し、外国で長期間暮らす上で、日本人としてのアイデンティティを失わないことが大切。あくまで日本人として、日本の文化や伝統を大切にし尊重することが自分を支えることになります。また周りの人もそれを期待しているところがあります。日本的な発想、日本の文化に造詣が深いことは逆に尊敬につながるのです。
  自分が育った環境と違う文化、言語の中で暮らしていく苦労はもちろんあります。アメリカに限ったことではありませんが、日本の常識が通用しないことは多々あります。ヨーロッパ以外の外国から来た場合、日常生活や仕事で差別されていると感じることもあります。そのかわり、社会が基本的に競争原理で成り立っているので、誰でも努力し成果を出せば評価されるのも真実。それがこの国の進歩につながっているといえましょう。
  最後になりますが、10代をどのように過ごしたかは、その後の人間形成や人生の選択肢に大きな影響があります。私は目標達成のために、その時にできる努力を惜しまずにしてきたと思います。高校時代は比較的のんびりしており、後押しもしてもらったのですが。
  佐久長聖高校は有数の進学校になり、努力したり適切な助言を受けたりできる環境はさらに整っていると思います。今後も有望な若者の輩出を担う長野県の中心的な教育機関として、母校の更なる飛躍を期待しています。